
2021.08.19 記事のカテゴリ
今日はオープンに、フラットに妊娠、出産、子育ては当事者に限らず語られるといいな、と自分の経験を振り返ります。 バースレビューを知ってますか?
こんにちは。スイカ、好きですか?
私は大好きです。和賀です。
さて、今日はオープンに、フラットに妊娠、出産、子育ては当事者に限らず語られるといいな、と自分の経験を振り返ります。 バースレビューを知ってますか?
バースレビューは、産婦の「わだかまり」を知り、出産体験に肯定感をうながす具体的援助の一つです。 当院では、妊娠がわかった段階で、妊婦自身が主体的にとりくめるよう「こんな出産をしたい」というバースプランを作成しています。 これに対し、出産後に自分の体験を振り返ってもらうのがバースレビューです
(引用:第九回看護介護活動研究交流集会で報告されたとりくみ)https://www.min-iren.gr.jp/?p=13146
もうそろそろ成人になろうとする息子がお腹にいる当時、出産経験のある女性たち数人から「出産はとにかく痛い」「痛いなんてもんじゃない」「例えるなら、鼻からスイカを出す感じ」と言われ、色んなことをすっ飛ばして、出てくる瞬間のことだけを「痛い」と表現していたんだと思います。スイカって・・好きだけど。鼻の穴に対してスイカは明らかに大きすぎます。 それが当時はとても違和感があったんですね。子どもを産むことや、子育てのこと、苦しいけど楽しいことなど、ポジティブに語る人は少なかったように私は当時、感じていたのです。「出産は痛い」「大変」「子どもはお金がかかる」「仕事を続けるのは至難の業」など。 なので、私はここで、ポジティブに出産を捉えたバースレビューに落とし込ん言語化していこうと思います。どうぞお付き合いください。
体重増加と懺悔部屋、妊婦であることに酔ってた私
私自身、子どもが欲しくて欲しくて妊娠が分かった時には、すごく嬉しかったのです。ですが、「妊娠すること」がゴールだったのでマタニティライフ、主にマタニティの洋服選びに夢中になり、妊娠経過にはかなり無頓着でありました。
どこに主眼を置いていたかと言えば、自分が妊婦であることに酔っている状態。私の友人は結婚が早く、また出産も早かったので私は29歳で第一子を生んだが遅い方。友人が羨ましくて羨ましくて、やっと結婚、妊娠と追いついた!そんな感覚。妊娠しても全くつわりもなく、とにかく元気!あるとすれば食べつわり。妊娠がわかった瞬間からお腹がすくという冗談みたいな感じ。おかげで、順調に体重は増え続け最終的には18キロ増加。検診のたびに、主治医から終わり間際に、看護師さんが呼んでるから行ってねーーーと告げられた。私の中では「懺悔部屋」と密かに呼んでいた別室に行く。
そこで、「体重が増えすぎ!!」と怒られて「はい、気を付けます」と口だけ謝る。毎回そんなやりとりなので、看護師さんからは呆れられていたっけ。
16週で切迫流産から妊娠後期の逆子体操、帝王切開と思ってたのに・・!
職場では「妊娠は病気じゃない」と多くの人言われ、さらにつわりもなく元気だったので、変わりなく動いていた。つわりの酷い人を見ると気の毒になるくらいだった。ところが、そんな私も16週で切迫流産になり突然絶対安静となる。
急に職場の人達が、主治医の許可が出るまで出勤しないで休め!職場に復帰しても「動き過ぎるな!」となり、戸惑ったことを思い出す。当時の私は、自分の身体に起こる変化を自分が一番感じられていなかったのかもしれない。切迫流産は無事に乗り越え、いよいよ妊娠後期に入ると逆子の問題が深刻になってきた。早い段階から、逆子だったので逆子体操などサボりながらもやっていたが一向に戻らず。いよいよ臨月となり、通常分娩は難しいという判断となってオペ日も決まり、それまでは出来るだけ動かないようにと言われ3週間ほどは安静にしていた。 ところが、いざ帝王切開のために入院したところ、翌日にお腹の中ですごいことが起こった!と直感しナースステーションに行ったら、たまたま主治医がいてそのまま診察となる。なんと逆子が戻っていたのだ。主治医は興奮気味に「すごい!すごい!いやーーー。すぐ退院して!!」と冗談みたいな展開になった。すぐに退院となり、「これまでは安静だったけど、これからはガンガン動いてね!」と言われたのだ。この時点でかなりの大きなお腹。ガンガン動くにも身体が重い。これまで動かないことを優先していたので、変化に追いつけず出産までの日々はジェットコースターのような状態だった。
そしてクライマックスへ(分娩室から大きなかぶ)
初めての出産は、超微量の破水から始まり陣痛が弱く、薬、点滴、座薬、何をしても変わらず。約2日間分娩室の前室で過ごしメンタルはヘトヘトとなった。「もう出すよ!」という主治医の声掛けと共に、分娩室へ。この時点で、寝不足と疲れと、想像もしていなかった展開についていけず体力も気力も限界。分娩台に乗って、足を固定されたのはすごく嫌だなあと違和感があったのは記憶があるが他はぼんやりとした記憶しかない。いざ分娩となっても陣痛は微弱で、結局は吸引、クリステレル併用、逆回転による回旋異常とこれでもかという感じ。分娩台で弱いながらも陣痛でいきむように言われても全く力は出ず、しまいには口に酸素をあてられ。気が付くと、女性の先生のお尻が目の前にあり、何が起こったかは理解できず主治医の先生の「頑張って出すよーーー、赤ちゃんも呼吸できなくて苦しいからね。お母さんも頑張って、あと少しだから!!」という声とともに、「せーーーの」「せーーの」という主治医の先生の掛け声。絵本の大きなかぶみたいだなあとぼんやり他人事みたいに思っていた。途中何度か意識が飛び、失神するってこういう感じなのかあと脱力していたら、助産師さんに「お母さん!起きて!頑張って!」と起こされた。疲れすぎていたのでこのまま失神して、寝たまま生まれてくれないかなあと本気で思っていた。
何とか出てきた息子は、すぐに別室へ。私は息子が出てきて「おぎゃあ」と泣いたのかさえ覚えていない。分娩後は自分の身に起こったことが理解できないというか、「なんじゃこりゃ」と思っていた。とにかく身体も気持ちもボロボロという状態だった。
今、思い起こせば、出産について何も学ばず、その時に起こりそうな身体の変化も知らずにいた気がしてます。出産が予測不可能なことだとは知ってはいたけれど、予想以上の想定外にたくさん戸惑う自分と自分の身体。
ドーナツクッションが必要な意味
産後の身体の痛みも、経験したことのないような筋肉痛みたいな全身痛と、私は吸引分娩だったので会陰切開の箇所が多かったことも。そういえば、分娩台で「バチン!バチン!」という聞き慣れない乾いた音が響いていたなあと後から思い出し、その傷が動くのも歩くのも座るのも激痛となり、何回も痛み止めを飲んだことか・・・。そして、ドーナツクッションが必要な意味がやっとわかったのだ。そんなこと、って言えばそれまでなのだけど「もっと知っておきたかった」とたくさん感じた出産経験だった。
次の出産でのリベンジを誓う私
産後の一か月検診で、主治医の先生に「先生私の出産は難産でしたか?」と聞いてみた。「超難産だったよ!!普通はね、緊急の帝王切開になるケース。だけどさ、当直の先生もいたからさ、行けるかなーーって思ったんだよ」と軽やかに笑顔で回答。
思わず「えええええ。帝王切開が良かったーーー」と言ったら「いや、普通分娩で良かったよ。ビキニも着れるよ!これに懲りずにまた来てよ」と笑顔。この先生好きだなと思った。比較的年齢は若い男性の先生で、私のまわりでは産科の先生は女性じゃないと嫌だという人が多かったけど、私はむしろ逆で、女性じゃなきゃ嫌だとも思わないし、今回の男性の先生で良かったなと思った。この診察で私は次の出産でのリベンジを誓う。
長男の出産がとにかく納得がいかず、早くリベンジをしたいって思っており、もともと自分自身が一人っ子だったこともあり、兄弟を生んでみたい、見てみたいという気持ちもあったこともあり、願いが叶い、2年後に2歳違いの次男の出産。
今度こそ自分が納得するお産をしたい
妊娠中はとにかく股関節を柔らかくすることに全力で取り組みました。出産で、産道を通りやすくするには股関節を柔らかくすることと当時の出産にまつわる本や記事をみて改めて勉強。運動嫌いな私もとにかく自分が納得するお産をしたいと思った。自分の身体を自分で知っておく。そんな感覚。
次男の出産は、長男とは真逆の超安産。陣痛はむしろ激しく痛すぎてこれまた驚き。長男の時は弱い陣痛と疲れでほぼ体験していなかったし、記憶にもない。 身体も気持ちも元気な分、陣痛の痛みは強烈だった。結局次男は病院について2時間で生まれた。最後まで私自身も意識はしっかりしており、次男が回りながら下に下にとおりてくる感覚、足を蹴りながら回っている感覚を味わいながらの出産だった。
と同時に、陣痛の痛みと出産時の身体が壊れそうな強烈な痛みを味わう。次男の時は2人目ということもあったのか、会陰切開はほぼなく、そういう意味でもすごくスムーズだったと思う。
生と死は必ず起こることなのに語ることへのタブー
妊娠、出産や子育てに関して、どこか武勇伝のように語る人もいる。それは時にマウントを取るような感覚。結婚しているしていない、子どもがいるいない、欲しくても出来ない、妊活中の人への配慮から話さないようにする。
もちろん、誰かれ構わずする話でもないけれど。生と死は必ず起こることなのに、語ることへのタブーは強い。秘め事のような感覚だろうか。妊娠、出産は女の人にしか出来ないことではあるけれど、男の人が知らなくていい事ではない。妊娠と出産と母乳は、母にしか出来ないが、それ以外の協力は誰にでも出来る。必ずしも血縁関係とは限らないと思う。私は、息子たちを生んで育てていて思うのは、私は生んだだけ。世の中に出てくるために身体を貸した感覚。育てるのは私だけでは絶対に無理、まわりの人と社会に育ててもらう。子育てを放棄しているということではなく、コントロール出来る存在ではないということ。
気づかないと発動しないかもしれない母性
妊娠、出産、子育ては女性だけで語ることではなく、男性にも多く語ってもらいたい。母性は女性にだけあるものではなく、年齢に限らず人間であればある本能のようなものだと思う。 そして、子どもを生んだ瞬間から母性に溢れるのではない。子どもを持つ女性全てにたくさんの母性があるように言われるのは幻想だと思う。子どものいるいない、女性か男性かに関わらず誰しもあるもの。
ただ使わないと、気が付かないと発動しないものかもしれない。 もっとオープンに、フラットに妊娠、出産、子育ては当事者に限らず語られると良いなと思う。 ここまで読んでいただいてありがとうございます。 バースレビューはHUGのサービスではありませんが、改めて母性と自分について深掘りして見ました。
話すことは、体から離すこと
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HUG体験者のおはなし|和賀未青@株式会社ニイラ代表取締役|note